風邪の日

頭が割れるように痛く、喉が焼けるように熱い。
そう感じたのは一刻前。たいしたことなどないと放っておいたのが間違いというもの。 次第に力をなくし、遂には目の前が暗く視界を遮ってしまうのだった。


風邪の日

時間がどれだけ過ぎたか分からない。しかし分かるのは昼から夜になっていることだけは確かだ。
近くで囲炉裏が焚かれているのだろうか…部屋の中は真冬だというのに暖かかった。
その暖かさに思考が段々と澄まされてくる。
そこでふと、不思議に思うことがあった。
誰がこの囲炉裏を焚いたというのだろう。
自分自身を見てみれば、布団に入り頭には氷水で冷やされた布が丁寧に置かれていた。
一瞬左近かとも思ったが、主従の関係でそれは無理だとすぐに撤回した。
取り敢えず、侍従のものを呼ぼうと考え起き上がろうとすると、すっと襖が開いた。
ああ、ちょうどいいと思ったのはその人物の顔を見るなりすぐに消える。

「あっ、三成!ちゃんと寝てないと駄目でしょう?」
「お、おねね様……」

その人物とは自分の主君である秀吉の正室ねね。
どんなに皮肉を返しても全く聞かない相手である。

「何で、おねね様が此処に居るのです!」

そう声を張り上げると、喉が痺れるように痛み咳が出る。
少しばかりそれに苦しんでいると、背中が一段と温かくなった。
何だとばかりに見てみると、ねねが背中を摩っていた。その表情はこちらが辛くなりそうなほど眉をハの字にしていた。

「何を……」
「苦しいんでしょ?風邪を引いてるのに大きな声を出すからだよ」

説教口調で言いながらもずっと背中を優しく摩る。
それが何故だか心地良くて、ねねの言うがままにじっと動かず静かにしていた。

「三成、また囲炉裏も焚かずに考え事?」
「おねね様には関係のないことでしょう……」
「関係あるでしょう!三成はあたしの子も同然。風邪を引いたら心配するでしょ

「もう私は心配してもらうような歳ではありません」
「ありゃ、それが倒れてた人の言う言葉かしら」
「……っ、それは」

言葉に詰まるとねねは満足そうに笑い、三成をゆっくりと布団へ寝かせた。その
際も三成は自分で出来るなどと反抗したが、それはやはりねねにはきかなかった

僅かな抵抗も熱のせいか、いつものように力を入れることが出来ず調子がまるで出なかった。その様をねねは心配そうな瞳で見つめている。
それが何故だか居心地が悪く、自分がさせていると思うと尚更布団で静かにしていようなどと思えなかった。

「おねね様はもう自分の室へお戻りください」
「こら、またすぐそう言うことを言う!」
「ここまでしていただいたら結構です。 後は自分で何とか出来ます」
「そんなことさせないよ」
「いい加減に……してください!」

融通の利かないその性格に腹が立ち、思い切り布団を蹴り立ち上がるとねねは琥珀色の瞳を大きくさせた。
その瞳を一瞥すると、先ほどからどうとも言えない感情がまた沸々と沸き上がる。さっきから何なのだ…。自分に自分で叱咤すると、揺らぐ気持ちを抑えねねを睨む。
こんな表情をしている自分を見ているにも関わらず、彼女から怒りは感じられない。
何故この方はこんなにも…。

「三成……」

そう名前を呼ばれたかと思うと、身体に重みが加わり、視界が遮られる。
一瞬熱が酷くなったのかと思ったが、それは間違いであった。抱きしめられているのだ。それは三成の怒りを静めるほど優しく温かい抱擁であった。

「おねね様?」
「風邪を引いてるのに無理しちゃ駄目だよ、馬鹿だね」
「…………」
「ほら、ゆっくりお休み」

そう布団に促され、三成は先程の怒りはすぅと何処かへやりねねの言うとおりに床へつく。ねねは満足そうに微笑むと、よいしょと冷やした布を三成の頭へそっと置いた。
熱のある三成にはそれが丁度良い温度だった。
暫く二人とも言葉を交わさなかったが、少し楽になったのか三成が言葉を発する。

「おねね様、先ほどはすみませんでした」
「やだね、気にしてないよ」
「しかし……」
「今日はゆっくり休む! それだけ守ってくれればあたしはいいの」

布団に手を置くと、何故だか懐かしい歌をねねは口ずさむ。
其れはあまりにも優しく、一息吸うと胸が熱くなった。その様子を見てねねは慈愛に満ちた瞳で笑う。
自分が言った全てのことを許してくれる瞳だった。
そう感じ安心したのか次第に瞼が重くなっていく。その間もねねは歌を歌い、子をあやすようにぽんぽんと布団を小さく叩く。
三成は完全に目を閉じ、深い眠りへと就こうとしていた。

遠のく意識の向こうでこうしてのんびりと時を過ごす日があっても良いかもしれぬと…そんなことを思うのだった。