お節介

「ええい! 離せっ! 離さぬかっ!」
「そうはいかないよ。 うちの人の所へ来た子は私の子も同然! 放っておけないよ」
「それが迷惑というんじゃっ! 馬鹿め!」
「気を使わないでもいいとは言ったものの、まさかこんな腕白坊主が隠れていたとはね」
「坊主とはなんじゃっ! 子供扱いするではないわ!」
「私にしたらまだまだ子供だよ」

お節介

一際大きな叫び声の後ろから、ふぅと小さく溜め息が耳に入る。
ねね、政宗共に後ろを振り返ると、そこには見覚えのある人物が書物を抱えたまま、額に手を当てていた。
長い髪が陽に当たり茜色に輝き、尚のこと女人ととれるその主は眉間に深い皺を作り、
手に持っていた書物を政宗を抱きしめる形になっている、ねねの方へと向けた。

「おねね様、何をやっているのですか」
「あら、三成。」
「い……石田三成……」
「三成はお勉強? 感心 感心」
「私のことはどうでも良いのです。 私が聞いているのは、おねね様の行為です」

次は深い溜息をつき尋ねると、ねねはくりりと丸い瞳を尚のこと丸くすると、
何を言っているのか分からないという風に首を傾げた。
この人は何故此処まで鈍感なのかと思うと、自然と眉間の皺が益々深くなる。

「何故、おねね様が伊達と居るのかを聞いているのです」
「伊達? ああ、政宗のことね。 お腹が減ってると思ってこれから茶漬けを用意してあげるんだよ」
「わしはそのようなこと頼んでおらんわ!」
「こらっ、またそんな口をきく」

ねねはめっと子供を扱うように人差し指を政宗の方へ向け、柔らかく叱ると未だ呆れた顔をしている
三成の方へと顔を向けた。
向いた顔は先ほどとは対照的で、笑みをこぼし「三成も来るかい?」などと言うものだから、
後々考えれば何をそんなに気に障ったのか分からないほど大きな声で「結構です」とだけ残し、その場を去る。
そんな様子を政宗は一瞥し、ねねの様子が寂しそうなことにも気づくが、
自分には関係ないことだと口を開かなかった。

「では、わしも帰る。 今日は秀吉様に挨拶へ出向いただけだ」
「えぇ! 帰っちゃうのかい? 折角茶漬けを用意しようと……」
「それが、面倒だと申すのじゃ。 わしには必要ない」
「道中にお腹減っても知らないよ!」

気にせず歩き出す。
しかしねねは政宗をこのまま帰らせたくないのか、口を閉じることがない。
やれ山賊に襲われた時に力が出ないだの、兵の士気が落ちるだのと何かにつけてここへ残そうとする。
何か思惑でもあるのだろうかとも考えたが、この女にそのような器用なことが出来るとは思えなかった。
それが、このねねという女の危うさでもあると政宗は思っていた。
人の安心という名の油断をさせ、そしていつの間にやらその心ごと奪い去るような、そんな危うさを持っていると。
優しき母というものを知らない政宗にとっては、最も油断してはならない女であった。
一瞬の隙を突き、心を奪われるやもしれない為……。

「くどい!」

そう一言一喝した後に、まずいと心の底で思う。
目の前にいる女は、自分が屈服した男の妻だと言うことを思い出したからだ。
言動や行動が、いつも付いてきてくれた小十郎と重なるところがあった為すっかりと忘れ込んでいた。
気を遣うなと言われても、やはり言い過ぎたことは認めざる終えない。
もしこのことが、他の豊臣に仕えている者に知られたらまず、命はないだろう。
天下を目指し今の今までしてきたことの意味が無くなると、自分が憎くなり知らずに拳を強くする。

「おねね様……」

すっかりと落ち込んでしまったねねに、先ほどの無愛想な男が呼んでいた呼び名で声をかける。
先ほどは失礼したなど、詫びという詫びを入れてみるがこれといって成果のある言葉は無かった。
いよいよ困り始めたという時に、鈴が転がるような笑い声が聞こえる。

「政宗、無理なんかしなくていいよ!」
「何……ですと?」
「敬語だなんてあんたには向いてないよ! やっぱりあたしには使わなくていいよ。
それにおねね様ってのも、政宗に言われるとねぇ~」

これは、心を許せと言っているのかそれともただ単に馬鹿にされているだけなのか…。
数分くらい悩む時間を要した。
それでもってやっと行き着いた答えは単純で、言われたとおり敬語を使わなくても伊達は滅ばないということだった。

「あと、ねねでいいよ」
「……は?」
「呼び方、ねねでいいよ。政宗に様付けされると何だか気恥ずかしくてねぇ」
「それが天下を敷く秀吉様の妻ということなのか?」
「天下だなんて、あたしは皆が笑って暮らせる世にしたかったんだよ」
「それが豊臣の天下じゃろう」
「そうだねぇ。 じゃ、政宗も笑わないとね?」

ねねの言葉は心に染みこむ温かさがあった。
感じたことのない気恥ずかしさを感じ目を離そうとするが、深い栗色の瞳は何を見据えているのか、
慈愛を押さえることはない。
暫しの間、お互い見合うが先に瞳をそらしたのはねねの方だった。

「それにね、政宗はもっとお偉いさんになると思うんだよ」
「それは世辞か……?」
「分からない。 けどその時はきっと私も力になるよ」
「ふん、期待などせんぞ」
「その時は絶対に笑ってるんだよ?」

ふふと笑う声が、優しすぎて政宗は鼻の奥がつんとする感覚に襲われる。
じっとねねを見ていると、それがもっと酷くなりそうだったから一言、

「ねねの自慢の茶漬け……食べてやろう」

その言葉を聞いて、ねねの優しさの満ちた笑みはもっと深いものなった。