ただ一つの事実

意識して来た訳じゃなかった。
しかし結果的にあやつが好きな場所へ身体を進めていた。
小太郎は大きな体にそぐわない早さで木を飛び移りながら移動すると、ふわりと甘い匂いがする花の綺麗に並んだ畑地へと出た。
その真ん中に、華奢な身体が見える。
後ろ姿だけだが、機嫌良く花を摘み頭に付ける飾りを作っているのは安易に分かった。
しかしあえて、気づかぬ振りをする。

「……うぬは何をしているのだ」
「あれ? 小太郎じゃない」

今まで動かしていた手を止め、人懐っこい笑顔でねねは振り向いた。
その微笑みは花のように優しく、緑のように安らぐのだが、小太郎はもうそれと関わりすぎたせいか何も感じなくなっていた。
いや、何も感じないというのは言葉違いだが、以前あった警戒というものが寸とも無くなっていたのだった。
だからこそ、殺気を出す必要もなく自然に背後に回れる。 それはねねも同じ事だった。

「何をしている……」
「もう無愛想な子だね。 見て分からない?」
「分からぬな」
「花のね、簪を作ってたのよ」

ねねの言葉を聞き、やはりなとククッと喉の奥から笑いが出る。
誰にやるとは聞かぬ。 ねねは自分の為何かをしようとする女人ではないからだ。
きっとこれも侍女か誰かにやる為に精を出しているのだろうと分かる。
そう思念していると、ねねは花をそっと置き、小太郎の方へと近づいてくる。

「ほら、小太郎も一緒に作ろうよ」
「……何故我が作らねばならぬ」
「だって、暇なんでしょう?」
「どうしてそう言い切れる」
「ここに居るからよ」

どこからその様な自信が来るか、小太郎は暫しの間だけ悩んだ。
成すことがないと言えば嘘になる。 しかし結果小太郎は全てを投げ出しここへ来ているのだ。
どう、反論出来ようものか。
しかし花の簪なぞ作る気も起きず、ねねの言葉を黙殺した。
その様子を相変わらずだと笑い、ねねは簪作りへと己の身体を戻す。
この二人が一緒になると必ずと言っていいほど会話がない。
何故どちらも話さないのか二人にも分からない。
だがこの時が小太郎には何よりも落ち着けるのだった。
ふわりと風が舞うと、其れを追いかけるようにねねは顔を上げた。
そして小さな声で一言、

「小太郎は色んな所にいるんだね」

と呟いた。
それに対し小太郎はとても簡素な答えを述べる。

「我は一つの所に留まる存在ではない…」
「そうだね」

そうまた掻き消えるような声で答えると、ねねは笑った。

「我は風魔、混沌をもたらすため漂い続ける……」

混沌という言葉に少しねねは反応したが、こらっと一言だけ叱るだけだった。
ねねという存在は小太郎には不思議で仕方なかった。
如何なる訳でこんなにも自分が言葉を言っても効かず、平然としていられるのだろうと。
そんなことを考えてしまえば、一つ思い当たるのはねねの性格という答えだけだったが、それでは納得出来なかった。

「あたしもね、漂うことは好きよ」

小太郎が思考に捕らわれたときだった。
ねねがそう言葉を紡いだのだ。

「……何?」
「泰平の世になって欲しいのは本当」
「…………」
「でも、あたしもこうやって色んな人に会いに行けるように漂うのは好きなのよ」
「我は、うぬに会いに来ている訳ではない…」
「分かってるよ」

ねねはそう、からからと笑うと出来たのであろう簪を小太郎の手に置いた。
なんだと言う風に見てみれば、一瞬だけ違う表情を見せた。
しかしそれはすぐに無きものとなり、ねねは微笑みながら小太郎の頭を撫でた。

「小太郎に大切な人が出来た時、この簪が役に立ったら嬉しいよ」

戯言だ。そう鼻で笑う。
押し返そうと思ったが、それはねねの温かな手によって遮られる。
自分自身を小太郎に任せるような、そんな気さえするほどの大きくそして小さな力だった。

「小太郎はね、想う人が出来たら幸せにしてあげるんだよ」

そう嘆きのような言葉をかける。全てに合点がいった。
自分の予言という名の言葉が効かぬ理由も先程見せた顔も、全てをねねは知っているからだと。
秀吉の想いが違う方でいっていることもねねは既に知っており、だからこそ小太郎が何か言うとも気にしない振りをしていたのだ。
それはねねの気丈な性格と一人の女としての性格だからこそ成せる技であった。
小太郎はねねがどんな思いであるかを知り、ククッと喉を鳴らした。
自分に想い人など出来るはずがない。 目の前にこんなにも脆い女人が居るのに一人に決めるなどつまらぬではないか……、そう小太郎は思った。
混沌を望むからなのか、理由は誰にも分からないが、事実は一つ。

小太郎はすっとねねの髪を撫でた後、受け取った簪をつけてやる。

その出来事だけだった……。

ただ一つの事実