悲しいことは、時にまとまってやってくる。


創作より「こはる日和」「星の郵便屋さん」「天使シリーズ」「その他創作の悪食コーディペンデント」、二次創作より「アイドルマスター」「フェイバリットディア」「乙女ゲームVitaminX&その他乙女ゲーム」ページにイラスト追加しました。

久しぶりにブログを更新したかと思ったら、不穏なタイトルで申し訳ありません。
今年に入って、姪っ子が出来たりお世話のお手伝い出来たりと嬉しいことも増えているのですが、個人的にどん底に落ちるくらいの悲しいこともまとまってやってきてて、メンタルがズタボロ状態だったりします。

以下、めちゃくちゃ暗い話ばかりです。見る際はご注意ください。
急にブログ更新したかと思ったら、暗い話で申し訳ないです。自分の心を落ち着かせるため、少しだけ文章で気持ちをまとめさせてください。










2年前に大好きだった愛猫が永眠したことは、ブログに書いて新しいことだと思うのですが、今年に入って、2月のはじめに大好きな次男猫も虹の橋を渡りました。
亡くなる3か月前くらいから、足が上手く動かなくなり、足を引っ張るように歩くようになっていたのですが、ご飯や水はもりもり元気に食べたり飲んだりしていて、病院の先生からは脳の腫瘍による影響だと聞いていたのですが、どこかまだまだ生きてくれると思っていたのです。

亡くなる本当に3日前くらいに、ついに二階に上がれなくなり、最初は上に連れて行ったりもしていたのですが、自分のトイレが一階になることを知っている次男猫は、かたくなに下に降りたがるので、一階で一緒にいることを増やしていました。
2月は寒いので、こたつを弱にしていつでも次男猫が温まれるようにもしてて、よくこたつの中でのんびりしていたのを覚えてます。
亡くなる前の日、夜中に二階から降りてきた私をこたつから半分出た状態で、「キリュウ、降りてきたんか? どうしたんだ? 寝れんのか?」みたいなキョトンとしたような瞳で、じっと見てきた表情を今でも忘れられずにいます。
次の日、朝起きて下に降りたら、すでに次男猫は亡くなった後でした。

長男猫が亡くなった時も、ああしてあげればよかったなどの後悔の念は止むことなかったですが、次男猫の時も、やはり後悔は止むことなく。
あの時、見つめていたのは、苦しいのを訴えていたのかなとか、無理にでも上で一緒に寝てあげればよかったなとか、そんないろいろ。
でも、次男猫は足が動かなくなった時から、動かないからあきらめるわけじゃなくて、自分の力でどうにか歩いていて、本当にこういう言葉が正しいかはわからないのですが、その姿を見るたび、愛おしさが増して、私も頑張る次男猫を見ながらいつも元気をもらっていたのです。
だから、亡くなった後、大泣きはしたけれど、「今までいっぱい頑張ったね、ありがとう」という気持ちも大きかったです。

虹の橋で、長男猫と次男猫は仲良くしてるかな?とか長女猫と長男猫と次男猫3匹でお昼寝してるかな?とか考えると、悲しいけれど、少しだけ気持ちが落ち着きます。

いまだ、次男猫の悲しみも止まないのですが、4月の半ばに父方の祖父が脳出血で倒れたとの知らせを父から聞き、急いで祖父のもとに家族で行ったのですが、すでに祖父は意識不明で病院で命をかろうじて繋いでる状態でした。
1年前から祖父は、「来年の誕生日を過ぎたら、わしの寿命や」と言ってて、私はそんなこと言わないでと伝えていたのですが、祖父は何かを感じ取っていたのか、今年の誕生日を過ぎたあたりから、祖母に感謝の言葉を伝えたり、自分の補聴器を祖母のサイズに合わせなおしていたりしていたと、祖母から話を聞きました。
1月までは、本当に元気で90歳過ぎるというのに、自分で新幹線と電車に乗って、私たちに会いに来てくれたくらいなんです。
姪っ子も抱いて、すごく喜んでて、4月には庭の畑に色々植えにくると言ってて、当たり前のように今年も一緒に過ごせると思ってた矢先のことで、本当に頭も心も追いつきません。
多分、GWまではもたないと先生に言われているので、奇跡を信じたいけど、祖父自身がもう終活をしていて、死ぬと心に思ってたみたいなので、私たちの思いも届かないのかな……とか思って落ち込みます。
せめて近い場所に住んでいたら、病院に毎日通えるんですが……。
いつも一緒にいた祖父が倒れてしまった祖母のそばにも居れず、本当に苦しい……。

どうか奇跡が起こりますように……と思いながら、今は日々を過ごしております。