夕暮れノイ

走れ――――――

走れ―――――――――

走れ、走れ、走れ――――――――――――

後ろで叫んでるジジイの声なんて、届かないところまで。

風を切った気がした。
髪が走る方向に逆らい、流れていく。
一瞬で過ぎ去る町並みも、全てが綺麗に見え、さっきまで嫌な思いを消すために足を進めていたというのに、今
では何故だか心地良い。
このまま自由気ままな、風になってしまえばいいと思った。
そうすれば、辛い修行を受けることも、自分の祖父に対して反抗することもないのに。
きっと素敵な生活が待っているに違いない。
夕暮れと共に、風になろう―――――――

 

牧場の仕事を終わらせて、次は町の人と会話して。
とても、充実した生活。
うーんと背伸びして、心地よい風を受ける。
私の歩く方向を分かり切ったかのように、一歩先へと風は進む。
髪が目の先へとなびく。
(ああ、もうすぐ日が落ちちゃう)
優しい住人、可愛い動物たち、ちょっとだけ気になる人。
何もかもが楽しい生活なはずなのに、この時間だけは心寂しくなる。
広く浅くひとときの時間だけ現れる風みたいに。

走れ――――――

走れ―――――――――

走れ、走れ、走れ――――――――――――

全ての風が存在していることを確かめるように、全身に受けて。

 

夕暮れノイ

「「あ……」」

赤く染まった広場に、二つの声が重なった。
それと同時に、お互い目を離せなくなる。
(クレアさんは、何でこんなにも寂しそうな顔をしてるんだ…)
(グレイは、何で辛そうな目をしてるんだろう…)
そんな思考が交差する。
そうして数分たった時、グレイはハッと我に返ったり、もう一度クレアを見た。
しかし彼女の方はまだ思考の中なのか、自分の方を一直線に見つめている。
クレアの真っ直ぐとした視線に、気まずくなったグレイは額に流れる汗をぬぐい、元来た道へと戻ろうとした。
しかし、それはクレアの声によって止められる。

「待って!グレイも、ここに来たんでしょ…?」
「……そう…だけど…」
「…こんな偶然ないしさ、話でもしようよ」

そう言って小さく笑った後、「あっ、勿論グレイが良かったらだけど」と付け足した。

「…うん」
「じゃあ、立ってるのも何だし座ろっか」
「そうだな」

小さく呟くと、手招きをする彼女の元へと寄っていった。
先に座って待っている彼女の隣に腰をかけ、広場に一つだけあるベンチを二人で占拠する。
ようやく息も落ち着き、疲れも取れてきた。
ふぅと一息つくと、隣の少女も同時に息を吐いた。
その様子にお互い目を合わせ、少しだけ笑う。
二人にとって、今まで悩んでいたことが吹き飛んでしまいそうなくらい、心地良い時間の流れが過ぎる。

「私、久しぶりに走ったから疲れたよ」
「……俺も」
「グレイも?やっぱり、ここの街は時間がゆっくりだから、普段走ることなんかないもんね」
「ゆっくり…?」
「あ……」

ふと口にしたグレイの問いに、クレアは少しだけ顔を濁らせる。
そして少しだけ考えた後、弱く微笑みながら、

「別の街から来た、私だけが感じることなのかもね」

そう呟くように、言った。

ザァ―――――――

クレアの言葉の後、何かを裂くかのように風が二人の間を駆け抜けた。
それを感じ、グレイは忘れかけていた感情を思い出す。
いやに胸が熱くなる。
地面に目を向け、黙っているとクレアが続けた。

「ねぇ、グレイ?」
「何?」
「ここに走ってきたよね。何で?」
「え……」

その言葉は、何かを少しだけ悟ったようだった。
鍛冶屋が近所なのだ。
もしかしたらケンカの声が聞こえていたのかもしれない。

「…爺さんとケンカしたんだ」

その言葉を口にした後、少しだけ彼女は微笑んだ……気がした。

「そっか、だから走ってきたんだ」
「うん。あ、でも…、最初は離れたくて走ってたんだけど…」
「え?」
「何でもない。クレアさんは?クレアさんも走って来たよね?」
「うーん、何でだろう…。何だか…」

そこまで言うとクレアは、手を組み、言葉を探しているようだった。
さっき続ける言葉が見つからなかった自分と同じなのかもしれない。
何故途中からは、逃げたくて走っているんじゃないと思ったのか分からなかったのだ。

サァ―――――――

また一筋の風が、ふわりと二人を揺らした。

(――――そうだ)
(――――そういえば)

「「風を感じたかったから…」」

二人の声が再び重なる。
驚き顔を合わせたが、どこかそう答えるのが当たり前のように感じた。

「走ってたら、風が吹いたんだ。」
「うん」

グレイが話し出すと、嬉しそうにクレアは相づちをした。
同じことを感じていたことで、少しだけお互いの距離が縮まったような気がしたからかもしれない。

「それが、なんか羨ましくて。それで同じように、負けないくらいに走った」
「そうなんだ」
「クレアさんも?」

すっかり笑顔になったグレイとは反対に、クレアは少しだけ顔をうつむかせる。

「私は…、ちょっと違うかな」
「あっ、そ…そうなんだ……」
「…うん、私は風が吹いてるって覚えておきたくて」
「覚えておく?」

首をかしげたグレイの様子を横目で見たクレアは、くすっと笑った。
「訳の分からないこと言ってゴメンね」と言い、「別の街から来た人特有の考え方なのかも」と言葉を続けた。

「グレイは、何で羨ましく思ったの?」
「え?」
「風、羨ましかったんでしょ?」
「えっと、それは……」

「風は……、自由だからかな」

力強く、そして何かを求めるように彼は言った。

「風は、どこにでも行ける。何にも悩んだりすることないんだ」

とても熱を帯びた瞳。
壁にぶつかってきた彼だからこそ、浮かべれるモノなのかもしれない。
そうしても旨くいかないという辛さは、自由を求めるほどのモノなのだろう。
でも…、でも、それでも……。
頑張っている彼の瞳も、修行の合間に見せてくれる笑顔も、全てが愛おしいと言ったら……。

「クレアさんは?何で、覚えておきたかったの?」

話し終わったグレイは、つい熱く語ってしまったと顔を赤くした。
その後に照れ隠しの為か、顔を赤くしながらもクレアへと話を振る。

「……風は寂しいから」

尋ねると、そう彼女は呟いた。とても悲しそうな表情で。

「きっとどこにも居る場所はない…。ずっと孤独だよ」

その時、彼女はどこか遠くを見つめていた。
心の底で眠らせていた不安を、話すかのように…。
「別の街から来た私」
彼女が何度も言った言葉を思い出す。
同時に、それが彼女を縛り付けているんじゃないかと、思った。
決して…決してそんなことはないのに……。
住人には分からない、彼女だけの不安があったんだ。

「あ…あの…」
「嫌いじゃないんでしょ…?ホントは」

何を言おうか迷っていると、クレアはグレイの言葉を遮り、優しく言った。
まるで先ほどまでの表情がウソのようだった。
それは、妙に心に突き刺さり、まるで子供のような拗ね方をしてしまう。

「な…何でそんなこと、クレアさんに分かるんだよ!」
「だって、嫌いでしょうがなかったらもう、とっくに家出してはずだもん」

それとは逆に彼女は、優しく語るように話し続ける。

「サイバラさんだって、嫌ってなんかないよ」
「クレアさんは知らないだけだよ。あの爺さんは俺のことなんか何にも考えてないんだ」

何を言ってるんだろう…。
こんなんじゃ、ただの愚痴じゃないか。迷惑だ。こんなの。
自分に恥ずかしくなり、クレアから目を離し下を向くと、鈴のような笑い声がした。
「そんなことないよ」と言いながら。

「何で…」
「ん?」
「何でそこまで言い切れるんだよ…」

彼女の笑い声は続く。

「だってほら…」

彼女の細くて綺麗な指が、遠くを指した。
その先に見える人影は、グレイが顔を赤くするには十分だったようだ。

「…っ、爺さん……」
「ねっ!」

ニコリと彼女が笑顔を見せる。
それを見ると、祖父への怒りも全てが解けていくようだった。
いや、本当は「嫌いじゃない」と言われたときから、気づいていたのかもしれない。
そして、笑顔の後にクレアは、
「頑張ってね。私、グレイが頑張ってる姿好きなんだから」
そう言葉を繋げた。

ああ、そうか。
失敗してるところも含めて、見て欲しかったんだ。
―――― 頑張っている姿 ――――
結果じゃなくて、過程を。
クレアの一言に、確かに胸が熱くなるのを感じた。

「ありがとう。俺……」
「ん?」
「クレアさんが居なかったら、このままダメだったかもしれない。挫折してたかもしれない」

そこで彼は少しだけ息を吸い、

「クレアさんが居てくれたからだよ」

そう言って、優しく微笑んだ。

ドクン――――

クレアの胸が跳ねるほどの鼓動を見せる。
その言葉が、自分の場所をくれたような気がした。
一人なんかじゃないんだ。
そう、思えた。

「えへへ、ありがとう」

小さく御礼を言うと、グレイは顔を赤くし帽子を深くかぶった。
暗くなっていく紅色の空を感じ、ベンチから立ち上がる。
帽子に視界を遮られ、彼女の足下だけを頼りに彼女の方へ向く。

「俺、帰るね。また明日も早いし」
「うん」

そう言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。

一歩、先へと進む。
静かな時間の中で、足音だけが響いた。
一歩先へ、一歩先へ。
そこで、グレイは足を止める。
もう一度彼女の方を向くと、視界の遮っていたモノを外す。

「あの…、俺頑張るから」

彼女の目を見て、強く放った言葉。
それは、今まで誰にも言ったことのない言葉だった。
それを聞くと、「うん、応援してる」そう、クレアは微笑んだ。

「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」

ふいに言った、「また明日」の言葉がとても温かかった。
名残惜しそうにクレアから遠ざかっていく後ろ姿は、心配して探しに来たのであろう、彼の一番の理解者
の元へ辿り着き、すっかり暗くなった町の中へと去っていった。

彼らを見送った後のクレアの元へと吹いた夜風は、妙に心地よく、温かいモノだった。

「一人じゃないんだ」

一人だけの広場にその言葉が響き、それを実感したクレアは、もう少しだけ風を感じてようと思い、少し乱れた髪を整えた。

 

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以前のサイトで贈らせてもらった作品です。